Fragmentos dos Diários de Meishu sama

De Ooshin
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大正12年5月(明主様御歳42才)大事変を予知され、京橋区大鋸町の自宅を36500円で売却し、大森八景坂にご移転 05/1923 (Meishu sama com 42 anos) Tive uma estranha premonição. Vendi minha casa no bairro Kyōbashi por 36500 ienes e me mudei para Ōmori próximo ao monte Hachikei.
12年9月 関東大震災により京橋の店舗も商品も焼失し、貸し倒れも莫大な額に上り、

事業再起不能となられる。

09/1923 Por causa do grande terremoto em Kanto, minha loja com os produtos foram destruídos. Além do prejuízo irreparável uma vasta dívida se avoluma. Este negócio está em vias de falência.
13年 再び大本教に入り、神霊の研究に没頭される。あるとき、地図の製作者に霊眼が開け、明主様の右肩に等身大の観音様を見る。 1924 Voltei mais uma vez à Ōmoto e mergulhei nas pesquisas sobre o espírito divino. Certa vez, um cartógrafo (N.T. Hidemassa Noguti) teve sua visão espiritual aberta disse: "Vejo Kannon em tamanho natural próximo ao ombro direito do senhor".
昭和元年12月 信仰を深めるため、大本教のお筆先を熟読される。神霊の有無、神と人との関係、ご自身のこの世に生まれた大使命を悟られる。見真実となられる。

 3ヶ月にわたり、神がかりとなられ、日本創世記を綴られる。

12/1926 Me aprofundei bastante na fé. Fiz uma leitura cuidadosa do Ofudesaki da Oomoto e compreendi sobre a existência do espírito divino, a relação entre Deus e ser humano e a minha grande missão ao nascer neste mundo. Estou próximo ao kenshinjistu.

Durante 3 meses passei por kamigakari, disso resultou o "Livro de Gênesis" do Japão.

2年1月1日 この年より、御日記をおつけになることを御決定される。 1/1/1927 Deste ano em diante passarei a manter um diário.
3年2月4日 営業を番頭に譲り、大森区新井宿2丁目2251において、ご神業に専従される。 4/2/1928 Cedi os negócios, em 2251 bloco 2 de Shin-Chichiriboshi no distrito de Ōmori, à meus funcionários. Passei a me dedicar exclusivamente à obra divina.
4年4月19日 京都府曽我郡穴太在小幡神社に御参拝される。金龍神が御出現される。 19/4/1929 Visitei o templo 我郡穴太在小幡 em Kyoto. Surgiu o dragão dourado.
4年5月20日 大森八景園の住居の上空に大暴風雨と雷鳴が起こり、その時から、観音菩薩の守護神である金龍神が明主様の守護神となられる。 20/05/1929 Nos céus de Ōmori Hachikei houve um grande tempestade com muitos trovões. Nessa ocasião, o dragão dourado, protetor de Kanzeon Bossatsu, se tornou o protetor de Meishu sama.
4年 雲上観音をご揮毫される。 1929 Desenhei o Unjyō Kannon.
5年6月1日 大森 松風荘の庭に、みろく塔を建立される。 1/6/1930 Erigi a Torre Miroku no Shōfu-so em Ōmori.
5年7月21日 9人の弟子を引き連れ、富士を登山される。 21/07/1930 Escalei o Monte Fuji com 9 discípulos.
5年9月10日 天人会を始めて、笑冠句の会を持たれる。 10/09/1930 Primeira reunião da Associação Ten'nin. Foi uma reunião repleta de risos.
5年10日1日 御手代(扇子型のお光)を弟子に下付される。(救世教いづのめ教団「天国の礎」には、昭和4年からとの記述がある) 1/10/1930 Entreguei o Miteshiro (uma espécie de leque impregnado com Luz) aos meus discípulos.
6年5月3日 短歌会 瑞光を始められる。短歌雑誌「瑞光」を発行される。後に「松風」「紫苑」となり、昭和10年に廃刊。
6年6月15日 神示により房州鋸山の日本寺を随行者30人と共に御参詣。神秘な行事が行われる。この日より、霊界において夜昼転換が始まる。
6年6月28日 伊豆湯ヶ島へ出口王仁三郎師を訪ねられる。
6年7月1日 鹿島・香取神宮を参拝される。
6年7月7日 笑冠沓句集「天国の花」を発行される。
6年7月15日 榛名を登山される。
6年8月12日 初めて、自動車用のお守り(11体)ご揮毫される。当時、東京市電気局自動車課から大量の自動車用のお守りの注文があった。明主様は徹夜でこれを作られたこともあった。これをかけたバスは、事故が発生しなかったと自動車課から後に電話で言われた。
6年 この年、日の出観音、厳上観音、鶴上観音、牛乗観音、一葉観音などをご揮毫される。
7年2月16日 ある大本教青年に赤龍が憑依し、金龍神に戦いを挑む。
7年10月15日 日光をご旅行される。
7年 この年、大本教に見切りをつけられ、その後2年間、ご立教の準備をされる。

五秘仏観音、大弥勒、玉持観音等をご揮毫される。

8年 事業に失敗され、破産状態となられていたが、人から大黒様を譲り受けてから、経済的な回復の兆しが見え始める。以後、大黒様を奉るようになられる。
8年7月16日 朝寝坊の反省から、歌人としての号を朝寝坊暉月から明烏阿呆とご改名される。
8年12月23日 大森の自宅に信徒が集まり、初めて誕生祝いをされる。

皇太子誕生を記念し、雅号を「明麿」とされる。

9年1月1日 大本教の神様を礼拝する前に伊都能売大神を礼拝するように改められる。

大本教新聞配布の愛善隊を観音隊と改められる。

9年1月4日 大森の自宅において、凧あげをなされていたところ、凧の周囲より紫の大霊光が噴出するという奇瑞が現れる。
9年1月7日 初めて信徒に大黒様を奉るように仰せられる。
9年1月8日 第一回雄弁大会を開かれる。
9年1月13日 滑稽文学 阿呆陀羅教をお始めになられる。
9年5月1日 麹町区平河町1-2-4に家を借り、応神堂と名づけられる。そこで、岡田式神霊指圧療法をご開業される。
9年6月15日 弟子30数人を引き連れ、日枝神社を参拝される。
9年9月15日 大本教を脱退される。